・いろんな人に会うけれど、
その人がどういう人なのかを考えるときに、
ぼくは、彼や彼女を、
じぶんの知っている中学校の教室に
置いてみることにしています。
世間を知りつくしたような老人でも、どれほどの美女でも、
ふと「中学の教室」での姿が見えるものです。
むろん、そう言ってるぼく自身も、
いっしょにその教室に立ってみます。
そうすると「ああ、こんなやついたな」と思えてくるのです。
むろん、その「こんなやつ」というのが、
校内で一番のヒーローだったり、
他の学校から野次馬が来るようなマドンナだったりします。
それでも、中学生ですからね、たいしたものじゃないです。
いじめっこもいるし、あか抜けないガリ勉くんもいます。
へらへら笑ってるやつだとか、なんだか妙に意地っ張りなやつ、
心配ごとばかり言うやつ、知ったかぶり…とにかくいろいろ。
だいたい、どんな大人でも、その中学生が、
いろいろ経験したり飾ったりした途中経過だと思うのです。
人の中身というか、中心になる「主体」は、
ぼくが思うには、中学生なんだと思えるのです。
特に、なにかに夢中になっていたり本気になっているとき、
人間はそれを中学生のようにやっているはずです。
じぶんなりの誤解かもしれませんが、
社会は中学生どうしのぶつかり合いです。
中学生以上の大人に見えるところは、
料理で言えば、味付けみたいなものだという気がします。
こんなふうに思っていると、人と接するのに
余計な緊張はなくなりますし、
同時に見下したりすることもできません。
じぶんも、強からずな中学生なんですからね。
この「人の見方」、ぼくも無意識でやっていたのですが、
これを、当たり前のようにやっている人たちもいます。
たぶん、「水商売のママ」は、そうやっていると思うな。
日本の黒幕であろうが、銀幕の大スターであろうが、
かつて「中学の教室」で見かけたあいつが主体です。
あ、これがいわゆる「中の人」ですね…ちがうか。
「ほぼ日」より。
ここ最近、カラダもそうですが、
いろんなことに疲れてました。
カラダがしんどいと、
考えなくていいことまで考えてしまうんですな。

しかし、
カラダも調子を戻しだし、
美味しいもん食べたり、
ドライブ行ったり、
いろんなひとから
いろんな刺激を受けたりね。
そうやって、
美味しいもん食べられたり、
周りにいるひとたちが
いろんなことを与えてくれるのって、
その時はまだ気づかないこともあったりするんだけど、
よくよく考えると、
スペシャルなことなんだなー。

人生、ニャンとかなるか。